今週のじぃご飯♪

今週のじぃご飯♪

ごめん。逃げます。


書き続ける意味。
折れそうだが、なぜか、書き続ける。
訪問数が減ろうが、なんであろうが、書く懷孕飲食
おや?と疑問に思ったり、くじけそうになっても、慣性の法則が働く。
つまり、止まらない。
たんなる、制御のきかない、壊れかけの旧式の機械である。
激突するまで止まらないのは、長年、付き合ってきた、自分自身の性格であることは、よくわかっている。
と、まあ、それはそれでよい。
(自分自身のことだから)
で???話は変わって、
自分の子供を虐待したことはあるか?
答え???は???、たぶん、ないと思う。
子供に対して気に入らないことがあると、ガミガミと気が済むまで怒ったりした記憶はある。
子供は、黙ってしまう。口を閉ざす。
口を開かせたくて、なおさらガミガミ言う。
さらに子供は、口を閉ざす。
そういうことをしていた。
二番目の子には、感情をぶつけられて、弱った。困った。
わたしは、被害者だった。
末子は、こちらがほんの少し聞いても、ほとんど口を閉ざしたままだった。
絶対に口を開かない。
最初から最後まで、貝のようだった。
子供とはコミュニケーションは、あまりうまくとれなかったように思う。
仲良し親子、あいあいファミリー、という雰囲気ではなかった。
子供をぎゅっと抱きしめた記憶が、あまりない。
ダンゴ状態の年子3人、
年の似通った子供同士で仲良く遊ぶから、子供の遊び相手には不自由しない、
こりゃあ、楽、と、ほったらかしにしていた。
親子間では、お互い、すごく距離感を感じていたに違いない。
いま、真後ろに上娘がいて、ちょっと聞いてみた。
「ねえ、子供の頃、わたしに叱られたこと、覚えてる?」
彼女は、答えた。
「子供といっても定義が広すぎる。
いつ、何歳の頃を言うの?」
「うーーん???小学校高学年になる前ぐらい?」
口から出まかせ的に、中途半端な設定をしてみた。
彼女は言う。
「子供は親を見て育つんやで。つまり、両親、夫婦。
夫婦のあり方が、どんなんかって、こと。それを敏感に感じるものや」
「建前と本音を使い分ける、とか、いろんなこと、学ぶんちゃうか」
「いちばん小さな社会は、家庭である???って、知ってた?」
などなど香港美食???
何を言い出されるか、わからない。
いきなり、未熟な親であるわたしが傷つけられるようなことを切り出されるかも知れないと感じ、
ハナシを進めるのが、恐ろしくなって、そこでこの話題、ストップした。
くわばら、くわばら。
脛に傷持つわたしは、逃げの一手。
正々堂々と胸をはって、「どうだ!!わたしの子育ては。完璧じゃろうが!!文句があるなら、言ってみい!!」
などとは、口が裂けても言えない。
ビクビクものだ。
わたしを糾弾する、非難の言葉の凶弾が、がんがん、びゅんびゅん飛んできそうになる前に、
卑怯にも、一目散に逃げる。
勝てないものには、逃げるが、勝ち。
これが、わたしの、卑怯人生、貫き通したポリシーである。
ということで、じつに情けない親だ。
親の姿を見て子が育つとしたら、まさに、反面教師という、そんな姿しか見せられなかった孕婦DHA
反面でも、一応、教師は教師なので。
たたき台があってこそ、良いにしろ、悪いにしろ、見本があってこそ、
自分の考えや感情が、わきあがってきて、固まってくるのである。
時間が経ち、自分も年齢を重ねると、親に対する目も変わってくる。
自分が、そうであったように。
とりあえず、事故なく、怪我なく、無事に、成人するまで育てたんだから、
それでいいとしてください、です。